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好きなことで生きたい人が「腹が立つことを逆に自分がやってみよう」と考える理由
好きなことで生きたい人が「腹が立つことを逆に自分がやってみよう」と考える理由
好きなことで生きたい人が「腹が立つことを逆に自分がやってみよう」と考える理由は、その反面で「生きる根拠を失っている」ということにも密接に関係している、と感じます。人は自分が本来目指して来たこと(善い存在であったこと)を忘れつつあることで、生きることの根底的な意味を見失っているように思うからです。自分という存在価値とその根拠を確立できないことが「生きることを諦める理由」にもつながってしまうような気がするのです。
しかし、腹を立てようが、腹立たなかろうが、自分の価値は変えられません。変わらないままで自分を責めたり、嫌ったり、傷つけたり、という悲しいことがなぜ起こるのか。
それは、「自分の価値とは関係なく人と比較して比較し続ける」という態度でしか、「自分と他人との関わり」を捉えることが出来ていないことが原因になっていることが多いのです。人はどうして比較してしまうのでしょうか。
それは、相手を「自分とは違う(まだ見ぬ相手)」として認識してしまっているからです。
好きなことで生きたい人の「腹が立つことを逆に自分がやってみよう」という考え方のメリット
好きなことで生きたい人の「腹が立つことを逆に自分がやってみよう」という考え方のメリットは、自分でやったことにどんな責任が生まれるのか、しっかり理解しているということです。そして、責任を持った行動は行動だけでなく、その行動によって影響を受ける人の気持ちも変えることができます。つまり、その人に自分の意思を伝えることができるということなのです。
このメリットを最大限に生かして、他人様から嫌われている自分の嫌な行動をやってみませんか?自分本位な行動が、後々自分にとって良い方向に働くということは、もしかしたら人生において相当大きなプラスになる可能性があるという証明ですね。そしてそれは、人生を幸せに生きる上で、あまり望ましくないマイナスの考えなのかもしれないですね。
私も若い頃は、自分をまず何よりも優先させていたように思います。そして、誰にも迷惑をかけず、自分がいかに幸せになるかということを基準に考えていました。もちろん、その幸せの基準は最終的には自分自身で決めなければなりません。
でも、他人や世間一般の基準に自分が振り回され過ぎていては、それは間違っていると私は感じています。そして最後に、どんなことに対しても常に感謝の心を持って生活できる人です。